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あとがき

2011年05月30日

この私小説を書き始めたきっかけ…

2年ほど前のこと、私は久々に高校を訪ねてみた。私の通っていた頃は女子校だったが、今は男女共学になっていた。校内に入ると出会う生徒たちがみんな知らない私に「こんにちは」と笑顔で挨拶してくれた。私が通っていた頃…というか、私だったら考えられない行動に驚いた。
守衛さんのところに立ち寄って自分の高校時代の話をいろいろした。当時の担任の話、ここに書いてるような自分の馬鹿っぽい武勇伝、その他諸々。当時の守衛さんならきっと私のことを覚えていてくれただろうけど、もう違う人に代わっていたので、私のそんな話こんな話を目を白黒させながら聞いてくれた。
そして現在の先生の名前が書いた早見表を見せてくれたので眺めていると当時の先生の名前をたくさん見つけた。「あ、○○先生もいる、××先生も…」と言うと守衛さんは「そりゃいるでしょう。あなたがここに通っていたのってまだ10年ほど前でしょう?」と言って笑った。「いえ、私がここを卒業したのはもう20 年以上前ですよ」と言うと「嘘!そんな歳には見えないよ」とお世辞を言ってもらった。
最後に「またおいで。ここはいつまでもあなたの母校なんだよ」と。

当時の私は…

高校2年の終わりだったかに、クラスで文集を作ることになった。クラスメイトのお父さんが印刷屋さんだったので安価で冊子にしてくれるという話しだった。
文集は1人1ページが与えられ、好きなテレビ番組や好きな男性のタイプ、好きな食べ物などを書く欄と、みんなに向けて一言書くところがあった。好きな男性のタイプのところにはみんな「優しい人」とか「おもしろい人」とか中には「お金持ち」なんていう人もいたけど、たいていは似たり寄ったりな答えだった。私はというと「自分の心をコントロールが出来る人」だった(笑)つまりは自分を抑制出来ない人は駄目だと。

このブログの一番初めにも書いたが、中学の頃は真面目が服を着て歩いているような子だった。それなのに私がこんなふうに少し変わった悪い子になってしまったのは高校のせいだ、教師のせいだと思い続けていた。でもそうなってしまったのは他ならぬ自分の心のせいだということもどこかで分かってはいた。ただ認めたくなかったのかもしれない。

そんな高校生だった。

私、どうしてこの高校があんなに嫌いだったのだろう。私は何に反抗していたのだろう。なんで私には友達がいなかったのだろう…そんな自分に対する疑問が脳裏を巡った。
それとともに、愛おしい気持ちにもなった。
何故、門のところで創始者の銅像に向かって一礼して登校しなければならなかったのか、何故、宗教の授業の成績が悪ければ留年になるのか、何故、男女交際や喫煙飲酒くらいで退学にならなければならないのか、未だに私にはよく分からない。
でも校舎を見た瞬間、私は愛おしい思いでいっぱいになった。教室が、廊下が、教師たちの名前が書かれたネームプレートが、そして蓮っ葉な態度をとってこの学校を横目に見ていた自分自身が。一礼もせずに門をくぐり教師に注意され生活指導室に引っ張られ、教室に帰っても誰とも口を利く訳でもなく、6限目終了のベルとともに学校を後にする…そんな自分が目をつぶると浮かんできた。

ただ、今だからこんな気持ちになれたのだし、これだけの長い時間がこんな悠長なことを言わせているのだろうと思う。
高校に通っていたあの頃、私は毎日が本当に嫌で嫌で仕方なかった。
学校なんてなくなればいいのに、と心底思っていた。中退しようと何度も思った。「行ってきます」と言って玄関を出るものの、このまま学校に行かずにどこかへ行ってしまおうかと、毎日のように思っていた。実際、学校に行かず繁華街で丸一日時間をつぶしたことが何度もあった。
1年と2年のあいだは、登校して席に座っても、朝から帰るまで、誰とも一言も口を利かない日がほとんどだった。というか、私の周りには誰一人寄っても来なかった。母の作ってくれたお弁当を毎日一人で食べた。
中学2年の時も同じだったが、あの時はイジメにあっていたという理由つきだったので、仕方ないかと辛抱もした。しかし、高校生になってからは、イジメにあっていた訳でもないし、特別嫌われていた訳でもなかった。それなのに私の周りには誰も近寄っては来なかったし、みんなが遠巻きに私を見ているのを感じていた。

孤独だった。すごくすごく孤独だった。今も孤独だけど比じゃないほど孤独だった。
信頼出来る人もいなければ、話す人も、まして相談する人もいない。教師は信用に値しなくても、せめて親友と呼べる人や友達がいれば良かったけど、それもいなかった。親兄弟以外、口を利く人すらいなかった。
そして夢があった訳でもなく、希望があった訳でもなかった。

日々、辛さと寂しさと悲しさと申し訳なさでいっぱいだった。
辛さや寂しさや悲しさは自分のものだったが、申し訳なさは親に対してだった。親は未だに私のそんな高校時代を知らない。高い授業料を支払ってもらっていながら、娘はこんな下らない学校生活を送っていたということなど、月日が経っても言えるはずもない。

少し話しは逸れるが、今私が勤める会社に、あの頃の私を見て知っている同僚が一人いる。
「なぁ…ちょっと聞くけど、おまえ、高校生の頃、道路の掃除をしそうなほど長いスカート引きずって、パーマかけて、何も入らない薄っぺらい鞄ぶらさげて、そこのバス停から学校行ってなかったか?昔、おまえによく似たスケバンをこの辺りでよく見かけたんだ」
同僚は多分、私ではないと思って冗談交じりにそう聞いたらしい。同僚と客先に行く道中で、私がまだ会社に入ってすぐの頃のことだった。私が毎日バスに乗っていたバス停に差し掛かった時、急にそんな話をされ、私は驚いて声が出ず、ただその質問にうなずいた。
「ホント?ホントに?おまえが入ってきた時、どこかで見たことがあるなって思ってたんだ」
同僚はそう言っただけで、他に何も言わなかった。
後で聞いた話だが、彼も私と同じような高校生活を送った、俗に言う不良だったらしい。だから私のことも誰かに言いふらしたり、からかったりはしなかった。そればかりか、私がどうしてそんなことになったのかを心配してくれた。
「悪いことは出来ないよね。今になって、あの頃の私を知ってる人に出会うなんて思ってもいなかった」
私が笑いながらそう言うと、彼は言った。
「悪いこと?おまえは本当の意味で悪いことなんてしてないだろう。タバコ吸ったり、喧嘩したり、制服を改造したりすることなんて、悪いことのうちに入らないよ。っていうか、本当に悪いことが出来ないから、そうやって別のところで抵抗してただけだろ?まともに見える奴ほど裏に行ったらとんでもないことやってるものなんだよ」
彼の言葉で、ほんの少しあの頃の自分が救われた気がした。

私はこの1年半、そんな現在も巻き込みながら、高校時代を振り返ってブログを書いた。
このブログを全部読んで下さった方は、もしかすると
『あなた、そんなに悲しい高校生活じゃなかったんじゃない?結構楽しそうだったよ』
という感想を持たれたかもしれない。私自身もこのブログを初めから読み返してみると、辛いとか悲しいとか寂しいという、あの頃本来の感情を見いだすことがあまり出来なかった。
だとすれば、私は本当に言いたかったことの半分も書けなかったのかもしれない。
けど、書き上がったものがこれだったとすると、それはそれで良かったのかもしれないとも思う。
悲しきスクールガールというタイトルで書いたけど、悲しいからこそ見つけたものもたくさんあるし、あの時の私がいたから今の私がいるのだし、確かに悲しいだけではなかったのだろう。
もちろん、もしあの頃ブログなんてものがあって、毎日私がそのブログを更新していたとしたら、ここに書いているような内容とは全く違ったものが出来上がっただろうが。

過去にあった事実を描写することは出来ても、過去の心を描写するのは難しい。
ただ寂しい寂しいと書いてもそれは上手く伝わらないことだし、起こった事実を取り混ぜて書けばいいけれど、それが上手く出来なかった。
出来なかったのは、ただ遠くなったからなのか、私の中で痛々しいものが緩和されてしまったのか、それはよく分からない。


更新は今日で終わりです。
1年半のあいだに、いくらかのメールやメッセージを頂きました。
励ましのお言葉、共感のお言葉、いろいろありましたが、読んで下さった数少ない方々に心から感謝いたします。
ありがとうございました。
またどこかで会いましょう!
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